水頭の家は蘭陽渓の右岸にあり、左岸と同じ標高の300mの地帯に位置します。向こう側の山を母親は原住民の山と呼んでいます。台湾の原住民族の中で最も凶暴な一つとされる泰雅族が住んでおり、かつてはヨーロッパ人や大清国の官吏を怯えさせ、侵略者が足を踏み入れることさえ躊躇しました。

40年前まで、母親など年配の方は彼らのことを台湾語でフワンアと呼んでいました。お爺さんは原住民と仲良しで、言葉が通じなくてもいつも歌と酒を共に酔っぱらうまで楽しんでいました。台所には常にお爺さんの米酒頭(アルコール度数の高い純米酒)が置かれ、原住民の友人が家の近くに来ると、庭で台湾語で「阿狗仔お爺さんいるかい?」と一杯やる合図を送ります。

母親曰く、原住民は仲間をとても「フェア」に扱うので、お爺さんは一杯やったら、残りの3人とも必ずそれぞれ乾杯する結果、よくベロベロになりました。原住民仲間とはいつもゲラゲラ笑いながら飲み、特にガラス瓶に2人で口を付け、一斉に酒を吸い上げ喉に入った時は楽しかったそうです。

お爺さんは大らかで客好きなため、向こう側の原住民が蘭陽平原を出入りする際に、途中でよく水頭の住宅前で休憩を取っていました。

母親によると、兄弟の中、2番目の姉花子が原住民と特にご縁があります。小さい頃、花子が一番お茶目で、子どもたちが「私は誰の子?」と聞くと、お爺さんは花子を指して笑い、また砂防ダムの方へ指差し「パイプの近くで拾ってきたんだ」と冗談を言ったら、花子はわあと泣き出しました。真に受けた花子が原住民になつきやすいのかもしれないと母親は推測しました。

ある日の午後、顔に入れ墨をする女性の原住民が頭で支える背負い籠を下ろし、涼みに線路横の私の家の石階段に座りました。耳タブの大きな穴の方から煙管(キセル)を取り出し、糸をぐるぐる回す仕草を続け、腰あたりの袋から干した煙草の葉をひとつまみ取り出し、そのまま丸めて煙管に詰めた後、石で火を起こすと、あっという間に白い煙がふわっと立ち上りました。

放課後家にいる子どもたちがその後姿をじっと見ている間、7才の花子はもう石階段を駆け降り「NANU,NANU」と優しく彼女を呼びました。普段両親が原住民を呼ぶ真似をするように。一体、「NANU」とは何の意味か、母親も分からず、お爺さんがいつもこのように向こうの山の原住民を呼んでいるので、「仲間」「友人」という意味でしょうと言っています。母親が40年間ずっと呼んでいる「NANU」、実は「何ですか?」という意味で、初対面の人と打ち解ける第一歩なのかもしれません。道理で、花子が「NANU」と言ったら、女性が笑顔で煙管を見せてくれたのです。

花子が煙管を返すと、女性は笑顔でそれを耳タブの穴に戻し、花子も笑顔で返し、すぐにまた茶目っ気が出て、戻された煙管を取り出してさり気なく真っ赤なナリヤランを摘み取り、女性の腕に寄りかかってそれを丁寧に彼女の耳タブの穴に差し込んで、女性はニコニコ笑いました。午後の涼風が吹いた水頭。細やかな笑い声が蘭陽渓の畔で響き渡りました。