水頭の家に一番多いものはと聞かれると、そこで人生最初の10年を過ごした順泰は川床に石が一面に広がった無言の情景が真っ先に脳裏に浮かび、石と即答します。

3、4才の頃から順泰はべらべら喋れるようになり、あっちこっち駆け回るのが好きで、自然に金魚のフンみたいに年上の子どもに付き纏う時は、下の姉の花子と上の姉の静子はもう学校に通っており、弟はまだコウノドリさんが運んできていませんでした。両親は仕事で、年老いたお爺さんはとても彼の遊びに付いていけません。石は彼の遊び仲間であり、玩具でした。

毎日見る蘭陽渓は半年間の渇水期の間、車のビートルからビー玉までの大きさの石が満遍なく散らばっています。出水期でも、台風の数日間だけ水が大量に溢れ出し、それ以外の期間、蘭陽渓は厳密に言うと山から流れてきた水が5本のうねうねした流れに分かれた場所で、その幅は大変広いです。水が多くても、石を埋め尽くすことはできず、水よりも石は蘭陽渓の主役です。

石は喋らないが、それを伝統人形劇の布袋戯(ポテヒ)人形に見立てて喋らせます。時には飛行機や車、お爺さんと姉、時には対岸の赤いトラックだったり、緑色の軍用トラックだったり、石の中に身を隠した仮想敵だったりして、我が軍と正面対決しようとしています。毎日、想像力を働かせ無数の物語を河原で上演させ、唯一の観客は偶々飛んできた鷹や雀と雲でした。

独り言をして石と遊ぶ他、順泰は毎日長い時間かけて河原で石を投げていました。水頭は月の上みたいで、石を投げる順泰は月の上で桂の木を伐り続ける呉剛に似てないでしょうか?でも、本人はそう思っていません。逆にそれで水切りの達人になったのを誇らしく思っています。

水面に向かって石を投げる際に、母親が炒り立ての落花生を食べる時と同じ、素早く石をポケットいっぱいに詰めておかないと満足できません。河原に立ち、ポケットから平らな石を連発して投げるのも落花生を次から次へと口に入れる時と同じように、壮快感がたまりません。

しかし、束の間の壮快感は悔しさとは表裏一体です。順泰が6才の時、母親が家にあるヒノキの材木を学習机の誂えに出し、ものが出来上がって家に送られた時、家族全員喜んで何回も触りました。5つの引き出しをそれぞれ割り当てて、鍵は纏めて保管されました。翌日、順泰はこっそり鍵の束をポケットに入れ(貧しい家の子どもの余りの喜びからと母親は理解を示してくれました)、河原で石を投げる時、慣れた動きでそれがハイスピードで水の中に入り、滔々の流れとともに深いところに沈んでいきました。

鍵が無くなって引き出しが開けられず、近くに鍵屋さんもなく、仕方なく鍵の処に穴を空けたまま使いました。張家最初の学習机はたったの1日でまるで泥棒に遭ったかのように見苦しい穴が空けられ、あれから皆各自の引き出しを指で引っかけて使うようになりました。