母方のお祖母さんが九芎湖の河原でサツマイモの葉っぱを大量に育てて、母親にほしいなら遠慮なく採りにきてと言いました。

夏休みが始まったばかり、姉の静子と花子はちょうど雑役の手伝いができる年で、豚の餌としてサツマイモの葉っぱを一緒に採りに行くよう母親に言われました。あの時代では、仕事を頼む側も頼まれる側も親子間の交流の糸は柔軟で束縛感がなく、今ではそれがきつくなり、片方がややもすると厳しく命令する態度を出し、すると、もう片方が抵抗と不満を表します。昔、学童労働は当たり前で、今ではそれが意図的な指図のもとで成り立っています。

2人が母親に付いて河原の方へ向かい、余りの猛暑で体の水分が蒸発されそうになり、下の姉の花子が口呼吸し始め、昼間の月下美人の花みたいに萎えました。それでも堪えて「いけない、お母さんに負けてはいけない、、、」と呟いているいうちに目の前が真っ暗になり、熱中症で倒れました。

8、9才の山村の女の子は風を追いかける蝶を追いかけ、その風がまた彼女らの髪を追いかける無邪気なはずなのではないでしょうか。花子姉さんが何であんなにも負けず嫌いなのだろう、それは不思議に思われるでしょう。しかし、順泰は特別だとは思っていません。母親は毎日のように人に負けてはいけない、特に「会社の子ども」に負けてはいけないと言い聞かせていました。数十年後でもまだその言葉が心に響いています。

「会社の子ども」は母親の定義では電力会社の社員寮に住んでいる社員の子どものことで、父親も一応社員だが、母親は自分の子どもは寮に住んでいる子どもとは違うと考えています。母親曰く、寮に住んでいる人は鼻が高く、自分たちの輪を作り「他所の人間に偏見を持っている。」洗濯をする時でも、社員寮の妻たちはずらりと並んで位置が決まっており、偶に行く母親は冷たい視線と嫌悪感を感じ、まるで気紛れな春の天気みたいに不快にさせてしまいます。場所を譲る人もいたが、横目で軽く睨みまたすぐに視線を戻し、体を動かそうとしない人の方が多かったのだそうです。

さらには「社内」には公共浴場も幼稚園もあるのに、「お風呂入るのにわざわざ風呂桶を持参しなきゃ」「幼稚園に入るのにわざわざ遠回りして裏の入り口から入らなきゃ」と母親は言いました。

本当は、母親は寮に住みたかったが、父親が僻地手当の受給を望み、また性格は人嫌いで寮での共同生活が複雑だと言い、結局一家は社員寮に入り他と同じ暮らしができないわけです。要するに、母親の父親への不満が根本で、やがては「社内」への恨みの花が咲きました。 母親が望むのはただ「周りと一緒」それだけだが、叶えることができず、そのせいか、子どもに託し、心の喪失感を埋めようとしています。