落花生を炒り過ぎて少し焦げた匂いがしたら、母親は「失敗したなあ」と嘆き、伯母さんの家まで道案内し、曲がる場所を間違えた時も「失敗しちゃった!」と落ち込んでしまい、そして、子守をして夜中に赤ちゃんがおしっこ漏れしておむつとパンツを濡らした時でも、申し訳なさそうに「失敗した」と繰り返します。

完璧主義で負けず嫌いな性格は彼女を圧迫しました。仏教に接して、執着心を捨てて以来、徐々に笑顔を取り戻しましたが、やはり全力を尽くし、失敗を恐れる心は悪魔の呪いのように度々彼女の修行を邪魔することもあります。

「大圈媽」というあだ名が付けられた養母への母親の思い出はとてもよくて、「四句聯」と呼ばれる4句からなる韻文のことわざなどたくさん教わりました。

長女ができ、私はどうしても子育てを妻と自分たちでするというので、母親はなかなか慣れませんでした。それまで、ほかの孫は全員赤ちゃんの頃から母親が添い寝をしてきたため、子守を手伝いたい気持ちは息子が生まれてからますます強くなってきました。娘がよちよち歩く姿と体の弱い妻を見て、仕方なく母親の希望に従いました。「豚は残飯を食べるのが当たり前で、祖母として孫の世話をするのも当たり前だ」と言われ、母親の些細な願いを断り切れませんでした。

母親は孫の面倒を見るのが楽しいことは家族の誰もが分かります。特に息子が4ヶ月、6ヶ月の時、何度も自分たちで面倒を見ると母親に伝えましがが、母親には「2人も見るのは大変だ」、「まだ嫁の体は回復していないでしょう」と突っ撥ねられました。母親は、孫の面倒を見るのが「使命」と考えているのがよく分かりました。

当初、妻は電話口で自分で子どもの面倒見ないと疎遠になり、長く続くのはよくないと母親に悩みを打ち明けました。母親は「そうね。山の向こう側では子どもの泣き声は聞こえないもんね」と言いながら、こちらの願いには応じてくれませんでした。

母親からことわざが聞こえるのは、大体孫を背負っている時です。その小さな体に長いおんぶ紐が巻き付けられており、おんぶ紐は何でそんなに長いの?と聞いたら、その回答はまた台湾語で韻を踏むことわざを言い出しました。つまり「長いおんぶ紐は子孫繁栄を象徴するんだ」ということです。

孫が泣き出すと、母親は怒る気が全く起きず、下女みたいに慌て始めます。哺乳瓶を孫の口に入れると、泣き止みます。「子どもの世話にコツはない、おしゃぶりを与えればよし」と笑いました。息子がミルクを飲みながら汗を搔くと、濡らした髪を撫でて、「ミルクが飲めればいいね、髪は気にしないわ」と言い、そしてまた息子の太ももを軽くつまんで、頭が大きくて、足が長い延ちゃん、格好いいね」と満足そうに言い続けます。