湧水のように滾々と湧き出る子どもへの愛情は母親が現状を変える最大の原動力です。

母親は順泰より4つ下の弟をおんぶして、「井戸」の傍で洗濯をしていたら、日当たりの悪い湿気の高い屋外では虫や蚊が多く、ある日、「あら、蚊に刺された赤い痕がたくさん残っているのね」と可哀そうに思いながら、弟の白くてもちもちした太ももを撫でました。負けず嫌いな母親は子どもが苦しむのを見ていられず、また対策を考え始めました。

どうすれば水を屋内に引き込めるのでしょうか?それまで、家の生活用水はお爺さんの作った井戸に頼っていました。大量の水が滲み出るトンネル内では枕木が濡れるのを防ぐため、線路の両側に平行に掘られた2本の水路がありました。お爺さんはその水路から水をトンネル外に引き寄せ、入口の近くに掘った深い穴に大きな陶製の水がめを設置し、貯まった水が一家の生活を支えました。水源を開拓した方に母親が方法を尋ねましたが、お爺さんは首を横に振って言いました。「できるなら、とっくに水道を引き込んだ。嫁が方法を考えなくてもよいのさ。」

母親はやはり諦めずに、2日後には合計約6キログラムの去勢された鶏2羽を天秤棒に載せて売りに行きました。売上げを手にし、大量の水管を担いで帰ってきたのです。

水源を探しに、母親は約500歩ほど進んだトンネルの3分の2の位置まで進みました。それは、入口に近い場所では少しでも光が入れば光合成が進み、生えた苔が水管を詰まらせて、出水を妨げてしまうのを防ぐためです。せんせんと流れる水源を見つけ、鉛シートを折り曲げて漏斗状にし、飛び散る水をそこに集中させました。底面に穴を空けた大きなバケツを吊るし、竹管を切ってその穴に挿入すると、水が勢いよく流れ出し、母親はトンネルの中で喜び勇んで笑いました。

後は水をトンネル外に引くことです。トンネル壁に人間の肩の広さくらいの間隔を空け、長い檜の板が連続して取り付けられました。母親はその上に水管を支えるための釘を付けました。水源の位置はお爺さんのと比べて高く、その高さには2人分くらいの差があります。こうして、母親が考案した「水道水」を地勢の高い屋内に引き込むことができるようになりました。

連日の水管工事で大忙しい母親は、往来する列車から噴き出された黒煙で顔が黒くなりました。まるで黒粉を塗ったかのような状態でした。それでも、列車の運転士には特に感謝すると言いました。運転士は高い丸椅子の上に立っている母親を遠くから見つけると、列車を停車させて降り、椅子を線路から移動する手伝いをし、椅子をトンネル壁の隙間に入れた後、列車に戻り仕事を続けます。

以降、一家は水汲みから解放され、階段を降り「井戸」まで水を汲み上げ、さらによろめきながら階段を上り水を運ぶ必要がなくなりました。その便利さによって口に入る水の味もより甘美に感じられます。何年も前の話ですが、母親は振り返りながらもっと早く導入しておけばよかったと嘆きました。なぜなら、張家が「水道水」の恩恵を受けられるようになったのは母親が水頭に嫁に来てから13年が経った後のことだったからです。