母親はこれまで飼ってきた家畜や家禽の中で、多様な特徴を持つ七面鳥が一番興味深いと言っています。

最初、母親は七面鳥の雛が一番愛らしく映ると感じ、オスとメスの雛を一羽ずつ購入し、飼育繁殖しました。七面鳥の雛は鶏の雛とさほど変わらず、ふさふさとした黄色い羽毛が生えており、とても可愛らしいです。約1カ月後には太い羽毛と翼が生え始め、小さいためか白黒の模様は田舎では「ゴギブリの翼」と呼ばれています。

始めは、母親は七面鳥の雛に米ぬかとみじん切りしたネギを与えました。雛はその嘴で突いて食べる際に、粘り気のある小さなネギの輪っかに見事にはまってしまいました。その結果、口を開く力すらなく、全身の力を使って振り落とそうとしましたが、うまくいかず、最終的にはやっと爪で取り除くことができました。母親は雛が餌に辿り着くまでの苦労を面白く見ていました。雛が可哀そうに思えた母親はそれ以降、ネギを縦に切り、細かく刻んでから与え、これにより、雛は満足そうに餌を食べることができました。

雛は次第に風船のように膨らみ、手に負えなくなりました。好奇心旺盛な七面鳥は自分の巣にじっと留まることができず、賑やかな場所に行く傾向があります。日が沈むと鶏とアヒルのように列に並んで巣に戻るのではなく、促す必要があります。それは、七面鳥は何かに興味を持つとついついそれについて行ってしまうからです。

それまで七面鳥は張家の敷地を離れることはなかったが、ある日、台湾電力の工事班の一行が張家の所在地となる山岳地帯を通りかかった時、その七面鳥の群れが突如として迫り、ゴロゴロと鳴きながら工事班に同行してしまったと母親が言いました。

日が暮れた後でも、七面鳥が巣に戻らず、心配する母親は籠を2つぶら下げた天秤棒を担ぎ、近所の聡金爺さんに助けを呼びました。竹籠を2つずつぶら下げた天秤棒を担いだ2人は足早に闇に囲まれた山へと入っていきました。

七面鳥は母親にとって重要な資産でした。1年間飼育すれば、オスは約10~18キロ、メスは約6.5~7キロほど成長し、一斤あたり80元で売ることができました。それに比べ、木材を一日担いで働いても稼げる金額はせいぜい120元程度でした。お正月に日本人が七面鳥の丸焼きを食べるため、その需要によって高値で売買されるそうです。七面鳥を1羽売るだけで、子どもと自分のための服を買う余裕ができると母親が言いました。だからこそ、母親は慌てて家のことを後回しにし、必死で七面鳥を探しに出かけるのです。

母親はその後、浮かない顔で家に戻ってきました。家の明かりが薄暗く、その顔がより憂鬱に映り、順泰と姉は3人で静かに母親を見つめていました。子どもたちは大人の心配事を理解することはできないが、母親の表情の意味はよく分かっています。

母親は七面鳥が見つからなかったと告げると、お爺さんは心配して山猫にでも食べられてしまったのかと考えました。そこで、早朝の4時から5時くらいに再び七面鳥を探しに行くことにしました。

山岳地帯では、太陽が早く昇るように感じられ、お爺さんと母親は準備を整え出発しました。山を3つ越えた折に、母親はすぐに自らが飼う七面鳥を見つけ出しました。世の母親が双子の子どもの見分けがつくように、彼女もまた直ちにそれを認識したのです。七面鳥は次々に木から飛び降り、母親とお爺さんは微笑みを浮かべていました。最後の1羽だけ枝を揺らしたり、石を投げても降りてこず、寝坊する小学生のようでした。やむなく母親は他の七面鳥を帰宅に促すと、最後の1羽もようやく降りて行列に加わりました。