山の人々は大体定職がなく、あっても薄給でギリギリで食べていける程度で、農地を所有する極一部の人でもその収穫は大家族の食い扶持を確保するのは難しく、そのため、台湾電力と林業の作業班の日雇い労働が家計の穴を埋める収入源となり、女性がその担い手となっています。その日雇い労働は10日間の給料がラジオ1台分の値段に相当し、1ッケ月分の給料は家族全員のお正月の服を新調することができるほどの額です。若い女性たちはありがたい気持ちでこうした日雇い労働に従事して家計を支えています。

母親もその一員で、杉の苗木を担いで息を切らせながら曲がりくねった山道を進んでいきます。被り笠をし、布で顔を覆う同じ格好の女性たちが行列を成してが山道を前進し、落ち葉を踏む時のガサガサした音がその進行曲となりました。

先頭を歩いていた阿粉小母さんは突然、絡まった蔓に引っ掛かりました。彼女が驚いて叫ぶと思いきや、「引っ張らないで、祖母ちゃんの時間が間に合わないのよ」とまるで舞台の役者のように言いました。山での仕事では花草に絡まることはよくありますが、それを聞いた母親と後ろにいた阿秋小母さんは思わず大笑いしました。

「引っ張らないで、祖母ちゃんの時間が間に合わないのよ」これは三星地域で広く知られる有名な笑い話で、女主人公の阿環の名台詞でした。

阿環は山奥の鹿の養殖場辺りに住む人で、子どもをたくさん産みましたが、戸籍上では「父親不詳」と記載されています。最近、ようやく60才を超えた彼女が結婚相手を見つけました。

終戦後、日本兵が山を去り、代わりに外省人の兵士が次から次へと山を開拓に入ってきました。山の人々は兵士の服装で彼らを呼び分けています。綿衣兵が開墾にやってきた時、兵士1人ずつに2甲(1甲=2934坪)から5甲の耕作地が分け与えられるという噂が広がりました。しかし、蘭陽平原の渓流の南側一帯の耕作地は、兵士全員に分け与えられるほどの広さではありませんでした。強奪しなければそれはありえないだろうと疑う人々もいましたが、それを敢えて口には出さず、心の奥に秘めました。一方で、信じる人々も多く、阿環もその一人でした。晩年の頼りとして、彼女はその分け与えられる土地を狙っていました。

阿環はこうして勇気を振るってお嫁に行きました。

お嫁に行く日に、たくさんの孫に囲まれ、1人の孫が駆け付けてきて、スカートの端を掴み「祖母ちゃん、祖母ちゃん、どこへ行く?」と聞きました。阿環は手を振って「引っ張らないで、祖母ちゃんの時間が間に合わないのよ」と返事をしました。

山の人々は温厚な性格の持ち主で、「笑わせるわ」と軽蔑な言い方はせず、「いい年をして今さら嫁に行くなんて」なども口にしません。ユーモアを込めて冗談を言うだけで、みんな意味を察して笑うことに留まっています。