今日になって、ついに雨がやんだものの太平山の麓には日差しが届かず、濁水渓の上には空一面に灰色の雲が広がっています。

母親は2日間仕事に出かけていないだけで、朝、軒下に干してある蓑を見て驚愕しました。たったの2日間の間に、青々としたススキの草2本が茶色い蓑の隙間から生え出てきました。その光景に母親は思わず口に出しました。「どうしてこんなことが起きるの?」

母親は本当はどうしてこうなったか分からないわけではないですが、じめじめした天気に対するどうしようもない気持ちを吐露したのです。

旧暦の9月から旧正月にかけて、天送埤ではめったに晴れる日が訪れません。蓑はなかなか乾かないが、河原にあるススキの種子は雨の止む間隙に風に乗って飛ばされます。一部は山の茂りに降り注ぎ、一部はトタンの屋根に舞い落ちて枯渇してなくなります。そして、幸運なことに、地面に落ちて再び生命を蘇らせることもあります。風に乗って蓑に付着した種子は鷹の爪のように堅く蓑にしがみつき、僅かな水分を吸い上げて成長を遂げます。その若葉が必死に生き残る姿を物語っています。

天送埤での雨の多さは日本人が太平山を開拓した当初から調査によって既に知られていました。1年のうち、天送埤では平均して200日もの日が雨天となります。百年経った今でも、その状況は変わりません。まさに唐詩が述べるように、年々、人は変わっていくものの、花の姿は変わらないのです。雨の多さは今も昔と同じです。

旧暦の9月19日、観音菩薩出家の日に天送埤では毎年雨が降る光景が印象的でした。母親の話によれば、毎年のこの日はまるで「祝う」かのように必ず雨が降ります。福山寺は天送埤を守る寺であり、この日には観音菩薩の参拝行事が行われ、家々では親戚や友人を招いて華やかに宴会が開かれます。しかし、いつも雨が降って、興ざめしてしまいます。寺の前には以前から小屋掛けが設けられ、その裏には四角形の防空壕があります。そこから天送埤の人々の間で「小屋掛けの裏の防空壕でイベント後にお供え物を自分たちで楽しむ」という話が広まっています。雨で親戚や友人が集まりきれないこともあるので、せっかくのご馳走は自分たちで楽しむのです。うまくいかない時でもユーモアを忘れない天送埤の人々の性格が輝いています。

廣興と三星を結ぶ橋が建設中の年の出来事です。3番目の叔母さんの一行がタクシーに乗って参拝行事後の宴会に出席するため実家に戻ろうとしました。広い川敷には数本の水が櫛のように流れている光景が広がっていました。それを目にした運転手は橋の前で車を停め、デコボコの道は乗り心地を損なうため、乗客を降ろして川敷を渡ってもらった後、向こう側で再び乗車してもらうことにしました。乗客をそのまま置き去りにするわけではありません。

こうして3番目の叔母さんたちは石が広がる川敷と冷たい川の水を徒歩で渡り、やっと天送埤に到着した時はもうヘトヘトでした。宴会の席で「このご馳走に辿り着くまでは大変苦労しましたわ」と親戚や友人に語りました。