母親は年を重ねており、毎月の生活費は子どもに頼り、決して大金持ではありません。それでも私たちに財産を分け与えることができます。

初めて母親が妻に黄金を渡した時、2人はまだ3、4回しか会ったことがなく、それから1ケ月後に妻は母親のことを「お母さん」と呼ぶことになりました。目の前にいる小柄な女性がいきなり、自分の手のひらに幼児の小指くらいの大きさの金の塊を置き、そのまま「順泰のことはよろしく頼みます」と言って自分の手を握ったのはとても不思議だったと妻は振り返りました。その瞬間、彼女は涙が止まらなくなりました。

「これは以前、苗圃で働いて稼いだお金で買ったものです。2人の息子の嫁に渡すつもりで、順泰の弟の進次と如子が結婚した時半分を切って、それが残りの半分です。」母親は謙遜な口ぶりで笑いながらこう言いました。妻は下を向いて、金塊の末端に切断痕があるのを見ました。それはまるで観光夜市で出来立ての金門貢糖(ピーナツ菓子)のように見えます。母親は次に小さな赤いケースから「福」という字が刻まれた金のネックレスを取り出し、背の高い妻に座らせ、それをつけてあげました。

この「福」のネックレスは古いもので、順泰が離島の馬祖へ兵役に行く際に心配する母親が順泰につけました。無事兵役から帰った後、つけたくない順泰はそれを母親に返しました。

その年、順泰の弟は一人子の長女ができて10年ようやく息子の阿弟が生まれました。大変喜んだ母親は、生まれて1か月目のお祝いとして金のネックレスを送り、ついでに我が家の息子にも送りました。ネックレスのトップの表に八卦の模様が描かれ、裏に「出入平安(無事に帰ってくるように)」と書かれており、「子どもの無事は何よりも大切です。八卦は魔除けの効果もあります。」母親はこう言いながらネックレスを渡してくれました。

今年5月、特別な日でもないのに、母親は突然、黄金の入った鮮やかな紙袋を持ってきました。その中に新しい金のネックレスが入っており、「去年は順泰の息子に、今年は娘にも」と母親は言いながら、渡してくれました。ネックレスはトップのデザインは繋がっている2つのユリの花の模様が施されていました。

そして、指輪2個も袋に入っていました。1つは順泰が付けていた金の指輪で、就職した当初、母親から「社会で軽蔑されないよう金や銀を身につけましょう」と言われ、付けていたものでした。

もう1つは「祝蒋経国総統就職」の文字が刻まれている指輪で、それを母親は妻に渡しました。「寺院のお坊さん曰く、修行者は体以外の物と断捨離すべきだ」と聞いて、そのため母親は手元の黄金を処分することにしたのです。台湾電力の組合は祝日などの度に、会員に記念品を贈呈するが、そのほとんどが父親の懐に入ったそうです。それは1984年、蒋経国氏が総統を再選した祝いで配られたもので、組合の事務員が母親に会った際に直接手渡ししたそうです。「お父さんはこれまでに何個も金の指輪をもらったのかもしれませんね」と母親は不満そうに呟きながら指輪のぼやけた文字を見つめました。

私は父親の代わりに弁解したくなりました。特殊な政治状況に置かれた当時は、蒋介石を総統に再選させ、その祝いで金の指輪が配られたが、普段はそのような嬉しい話なんてありません。「反共復興の偉業」の達成を目指し、国民をリードする蒋総統の再選を祝う政治的な意味合いが大きかったのです。