阿狗仔お爺さんが60才定年後初の正月、旧暦1月13日、2人目の息子が嫁を迎えます。それが私の母です。阿狗仔お爺さんは1人目の息子が結婚して12年経っていても孫ができなかったので、母親が嫁ぐことで心の奥から希望が湧いてきました。その喜びから、息子の結婚式の宴会に老後のための貯金を惜しまず使いました。

披露宴は円卓40卓を用意するようにと、阿狗仔お爺さんは料理人に注文したが、50年前は悪路を走れるトラックでも四駆のジープでもなかったので、天送埤から堤防を乗り越え、デコボコの川床を渡って、さらには山の中腹にある張家まで大きな円卓40卓も運んでいくのは大変な作業でした。2人1組で1日2往復をして10人でも4日間かけてようやく円卓を運び終えます。加えて、椅子400脚も運ばねばならず、料理人は頭を抱えました。

昔、山奥にある天送埤では、まともなレストランはなく、かといって、市内の羅東のホテルで宴会を開くのは天送埤の人間は誰も考えられませんでした。ましてや、花嫁は天送埤の出身で、結婚披露宴も、嫁に行った女性が実家に戻る帰寧の宴会も同じ村で行うのはどう考えても相応しくありません。悩んだ末、阿狗仔お爺さんはやはり水頭で息子の結婚披露宴を挙げることにしたのです。

そこで阿狗仔お爺さんは、息子の結婚イベントのため、列車の運転士と駅長に力を借りてきました。みんな知り合い同士で、苦労した家庭だし、協力することは吝かではありません。しかし、水頭まで円卓を一気に積み下ろすには時間もかかるし、場所も取るので、1日円卓5枚と椅子50脚が限界だとようやく駅長から許可を得ました。

台湾では旧正月期間中の結婚は稀で、それは「お嫁をもらい、よいお正月を迎える」という言葉に関係し、また台湾人は年末までに大事なことを済ませたい慣習があるからです。阿狗仔お爺さんは料理人が出張する結婚披露宴は大がかりなことで、年末の書き入れ時に仕事道具の円卓や椅子を長く自分のところに預けられないと思い、閑散期の正月に吉日を選んだわけです。

宴会用の円卓と椅子を往復して運ぶのに、がっちり忙しい半月を過ごした阿狗仔お爺さん。宴会の本番、豆電球が微かな黄色い光を放ち、グイグイお酒を呷り、赤く潤った彼の唇をより鮮やかに映します。彼にはなんら不満はないに違いありません。性格は半分地元山間部の原住民に馴染んでいて、無心で楽天的な阿狗仔お爺さんは不満な気持ちなんて長い間知りませんでした。

一連の苦労が報われ、息子が結婚した年末に、阿狗仔お爺さんは待望の初孫、順泰の姉が生まれました。