夜。オスセミが鳴き声を競うのをやめ、水頭では、休まぬ河の流れに付き合うのは風に揺られている竹の枝。蘭陽渓の朔日は真っ暗です。

静けさの増す部屋の中。窓の下で、姉の静子と花子が漢字を書く宿題をやっています。豆電球1つが頭上くらいまでぶら下がり、無償奉仕の家庭教師みたいにジーと2人を見ています。

コンコン、突然、窓ガラスから音が聞こえました。驚いた2人は顔を上げ、しかも動きが一致していて、60年代授業をサボった学生が先生に見つかった時よりもドキドキ感がずっと凄まじかったのです。続いてすぐにまた一斉にギャーという叫び声を上げました。

観音開きの窓は上、中、下の三段に分けられており、何故か下の二段はすりガラスで霧がかかっているように向こうがはっきり見えません。プライベートを確保するためでしょうか。一番上の段は透明ガラスで、普通の子どもの身長よりも高い位置にあります。

上にある2枚の透明ガラスには普段風や日が当たったり、そこから月が昇るのを見えたりするが、今夜、外は真っ暗闇です。透明なガラスに彫りの深い4つの大きな目が近付き、その眉間から太い青色の入れ墨が額の上まで貫通している様子を見た静子と花子は心臓が飛び出るほど驚いたわけです。

対応策を話し合う余裕もなく、花子は咄嗟に机に駆け上り電気を消そうとしました。電気を消せば、「あれ」が見えなくなるからと思っているが、「あれ」は恐ろしい怪物でも悪人でも、電気が消されたからって消えるわけがありません。しかも、部屋の豆電球のスイッチはぶら下がっているせいでふらふらと揺れており、震えている手が摘み取れず、椅子を踏み外して転んでしまいました。部屋の物音に起された母親とお爺さんが、駆けつけてきて、お爺さんは笑いながら「『NANU』だよ!」と家のドアを開けていきました。

渓流を挟んだ対岸の松羅坑の2人の原住民の男性が、渓流を渡るため、松明を借りに来たのです。黄藤で編んだ小さな帽子をかぶった2人は、顔の真ん中とあごの部分にそれぞれ垂直した形の入れ墨が入っており、それが同族の女性との最大の違いです。水頭付近の泰雅族女性の入れ墨は左耳たぶから唇を通過して右耳たぶまで太いカーブを描くようになっています。

母親曰く、泰雅族の女性は頭で背負い籠を支え、男性は頭に帽子をかぶります。カトリック教会の神父の帽子より一回り大きい黄藤の帽子は、狩猟した動物を解体する時に、獲物の血を盛る容器として使い、酒と混ぜて飲みます。松羅坑の原住民はそれを飲んでいるから蚊が近寄らないのだそうです。

不意に訪れた2人の客は、家に上がったら壁に貼られた蒋介石総統の写真を前にすぐに5本の指を揃え眉へ当てて敬礼しました。母親はその場でぷっと笑いそうになり、2人が凛々しく敬礼したんだと言いました。

母親は、蒋介石総統の写真は原住民を怯えさせる効果があるとは知りませんでした。新聞配達からもらったものだから、「その方が総統?!」だと、恭しく入口の一番目立ったところに貼りました。

100年前、虎のように凶暴だと見なされ、漢民族や日本人を怯えさせた泰雅族の狩人。いつの間にか、移り変わる時代の中で、海を渡ってきた侵入者の威勢に靡かざるを得なくなったのでしょうか。