「順進のボロボロの服を思い出すと、心が痛くなる」と母親は進次が高専を卒業した際の情景を思い起こします。「台北の国父記念館で、立派な会場に多くの人が集まっている中、彼がボロボロの服を着てそこに立っていた、、、今でも心が痛いのです。」と母親は振り返りながら話します。母親の回想が進行すると、スライド写真が映し出されたかのように、進次がちょうど廊下を通り過ぎます。「彼を今でも見ると心が痛むのです」と母親は続けました。

順泰が高校卒業後、4つ下の順進は台北の高専に進学しました。順進の着ている服のほとんどが順泰のお下がりの制服でした。それを3年間も着ていたため、「肩回りやズボンの裾、膝辺りには破れや補修跡が目立ちます。進次が続けて5年間着ていたから、ボロボロになってしまうんです」と母親は言いました。

順進は黙々と受け入れ、文句を言わないため、母親の悲しみは増すばかりです。一方、順泰は傷んだ服について不満を気兼ねなく表現します。

高校時代、母親は順泰の制服のズボンを鉄製の伏せ籠に掛け、下に火鉢を置いて乾かしましたが、裾の部分は乾いたものの、一部が焼け焦げてしまいました。それで、母親はカーキ色の生地を見つけてミシンで補修しました。

順泰の反応はどうでしたか?母親によれば、順泰は「不機嫌でした」と言い、「破れたズボンを履くくらいなら、ご飯なんか食べたくない」と呟いたそうです。母親は怒ることなく、ただとても悲しかったのです。

彼女は「もっと一生懸命働いて、子どもにちゃんとした服を着せたい」という一心でした。